2015.05.26
ヴェルディってどんな人? ②
ブッセートに戻ったヴェルディでしたが、田舎町での仕事には、やはり満足できなかったようです。密かに『ロチェステル』というオペラを作曲しますが、結局上演されることはありませんでした。しかし、次に『ロチェステル』の改作とも言われるオペラ『オベルト』を書き上げ、生活も心機一転、1839年2月に妻と息子を連れてミラノへ移住します。この『オベルト』は最初に計画された上演が、歌手の体調不良を理由に中止になりますが、紆余曲折を経てスカラ座の支配人メレッリの目に留まり、そこで上演されることが決まりました。39年11月、ついにヴェルディ最初のオペラ『オベルト』は初演されます。このオペラはまずまずの好評を得、スカラ座で新作を上演する契約をも結ぶことができました。
しかし私生活では、ミラノへ移住する前の38年にすでに長女を亡くし、長男も39年に死去、次いで妻のマルゲリータも40年には病死してしまいます。次作の喜歌劇が、妻の死後間もなくスカラ座で初演されますが、不評に終わり、26歳のヴェルディは失意のどん底に陥りました。