2005年10月に開館した兵庫県立芸術文化センター、
最初の夏のプロデュースオペラが、2006年7月の
「蝶々夫人」です。
遡ること開館前、佐渡裕芸術監督がプロデュースオペラの上演を構想する中で、“夏のオペラ”の船出に相応しい名作を、それも自身が若き日より薫陶を受けた演出家・栗山昌良氏の演出で上演したい、という強い思い入れを持って計画されたのが本作でした。
当時、日本のオペラ界の常識を覆すと話題になった合計8回の公演は連日喝采に沸き、熱気ある“夏のオペラ”が誕生したのです。
評判の高さに、2008年春には7回公演を再演。
そして2024年、プロデュースオペラの原点に回帰する、
しかし18年を経た今だからこそ上演できる改訂新制作版
「蝶々夫人」の幕が上がります!
2006年 「蝶々夫人」千穐楽カーテンコールより
愛を信じ、名誉に生きた
蝶々さんの物語STORY
舞台は明治時代(19世紀末頃)の長崎。没落士族の娘・蝶々さんは15歳でアメリカ海軍士官のピンカートンと結婚。一途に夫を愛する蝶々さんに対し、ピンカートンにとっては金で買った戯れの結婚であり、彼は「コマドリが巣を作る頃には戻る」と言い残して帰国する。それから3年。ピンカートンとの子を育てながら、蝶々さんは夫の帰りを待ち続けていた。そんな折、港に軍艦が着き、期待に胸を躍らせる蝶々さん。しかし彼女は過酷な事実を知らされる…。
世界に誇る日本の美
“決定版”というべき栗山演出
比類ない甘美な音楽で120年にわたり世界中で愛される
「蝶々夫人」。
2006年の兵庫初演、2008年の再演で演出を手がけたのは、日本のオペラ演出の第一人者であった故栗山昌良氏(1926-2023)です。半世紀にわたり数多の「蝶々夫人」を演出してきた栗山氏が、18年前の兵庫版初演を前に語ったのは「プッチーニの意図を十分に尊重したうえで、余分なものをそぎおとしたスタイリッシュな『蝶々夫人』にしたい」ということ。音楽に忠実に、登場人物たちのドラマを丁寧に描き出し、感動の渦を呼びました。
それは日本人の心に深く響くと同時に、世界に向けても誇れる「蝶々夫人」決定版といえる演出。今回は、初演時に演出補を担当し、様々な舞台の演出で手腕が高く評価される飯塚励生氏が“伝説の舞台”を鮮やかに蘇らせます。
- ⚫作曲は「ラ・ボエーム」や「トスカ」などの名作を遺したプッチーニ!2024年、没後100年となる。
- ⚫小説としてアメリカで発表された原作が1900年に戯曲化その舞台上演を観たプッチーニが感動のあまり自らオペラ化を計画!初演は1904年2月17日ミラノ・スカラ座。
- ⚫当時はジャポニズム・ブーム!プッチーニも日本の文化に関心を持ち、“さくらさくら” や“お江戸日本橋”など実際に日本のメロディを転用している。
- ⚫“ある晴れた日に”、“愛の二重唱”、“花の二重唱”ほか、名曲がひしめく本作品。ドラマティックな音楽はフィギュアスケートの勝負曲にも!
佐渡裕芸術監督メッセージ
私がまだ駆け出しの頃、副指揮者として初めてオペラの稽古で指揮をしたのが、栗山昌良先生の演出する「蝶々夫人」でした。当時すでに多くの素晴らしいオペラの舞台を演出されていた栗山先生。数々の作品でその仕事を間近に見ることができましたが、特に世界でも右に出るものはないと私が確信している栗山演出の「蝶々夫人」には思い入れが強く、兵庫で最初の夏のオペラには絶対にこの作品をと考えていました。思い描いたとおり上演は大成功。この作品なくして、毎年夏のお祭りのように皆様に愛されるプロデュースオペラは生まれなかったでしょう。
以降、多彩なオペラをとり上げてきましたが、「蝶々夫人」は再び上演したいという思いがありました。実は、センター開館20周年となる2025年を想定していましたが、先生のお歳を考えて1年繰り上げて準備をしていたのです。再び一緒に仕事をすることは叶いませんでしたが、先生に教えていただいた“オペラとはどういうものか”ということを胸に、これまでに何度もチームを組んできた演出家の飯塚励生さん、素晴らしい歌手達と共にこの作品に臨めることを本当に嬉しく思います。一音一音に私の深い思いが詰まったこの「蝶々夫人」、ぜひご覧ください。
2006年「蝶々夫人」リハーサル中