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2023.07.17
【オペラがもっと楽しくなるコラム】「私とオペラ」連載開始
日本ではまだまだ敷居が高いという方が多い“オペラ”。
もちろんヨーロッパでも高尚な芸術として見なされている面はありますが、一方で、市井の人々に親しまれてその文化に根付き、発展してきた歴史をもちます。
このたび、イタリアで長らく生活し、現地でのオペラ文化を身近に見てきたオペラ・キュレーターの井内美香さんが、「私とオペラ」と題し、独自の視点でオペラの魅力に迫るエッセイの連載が始まります。
肩の力を抜いて、オペラを楽しむヒントが見つかるはず。ぜひご覧ください。
私とオペラ①
ミラノで出会った天井桟敷の人々
ミラノ・スカラ座はオペラの、特にイタリア・オペラの殿堂といわれています。筆者はミラノに20年以上住みスカラ座に通った経験がありますが、その時に、いったい何がこの劇場を世界のトップにしたのか?を考えることがよくありました。
そもそもイタリアの首都はローマです。ではなぜローマ歌劇場ではなく、ミラノ・スカラ座がイタリア・オペラの最高峰と目されているのでしょうか?
それにはまず、歴史的な背景があります。オペラは1600年頃にフィレンツェで生まれ、その後ヴェネツィアとナポリで大きな発展を遂げました。そして19世紀にはミラノに中心が移り、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディなどの、イタリア・オペラ黄金期の作品がミラノで生まれています。
イタリア ミラノ・スカラ座
加えて地理的な要因もあります。ミラノはオーストリアの支配下にあった時代が長く、スカラ座がオープンした1778年もそうでした。そのためこの都市は、イタリア音楽と、アルプスの向こう側のドイツ文化圏の音楽の両方の影響を受けています。
最後に、これは特に現地で感じたことですが、スカラ座の観客がこの劇場を世界最高峰に保つ力になっていることです。スカラ座の観客、特に天井桟敷の人々の批評眼は厳しいことで有名です。シーズン開幕初日などの重要な公演と、何度も再演されているプロダクションの公演では、お客さんの質も態度も違いますが、一般的に言えば、スカラ座の聴衆は表現力が豊かです。素晴らしい時にはブラヴォーが飛び交い、一方、演奏の質が良くない時にはブーイングが起こります。時々、徒党を組んだ嫌がらせのようなブーイングもあり、これは困ったものですが、時には観客の一人として、「よくぞ言ってくれた!」と思うような的を射た掛け声もあるのです。
そして私が最も感動したのは、ある日本のテレビのためにスカラ座のお客さんたちを取材していた時に出会った一人の年輩の男性のお話でした。スカラ座の普通の席のチケットはかなり高額なのですが、天井桟敷の当日券、しかも年金生活の高齢者はとても安くチケットが入手出来るのだそうで、この方はスカラ座で行われる全ての公演(全ての演目ではなく、公演がある日は全て)に来ている、とのことでした。私は彼に、歴史的名演について、例えば「ルキノ・ヴィスコンティが演出したマリア・カラスの《アンナ・ボレーナ》はすごかった」、というようなお返事を期待しつつ、「これまであなたがご覧になったスカラ座の公演の中で印象に残ったのは何ですか?」と質問しました。するとこの方は、「それぞれの公演は、皆良いところがあるからね。どれとは選べないね」というお返事を下さったのです。
この公演が良かった、悪かった、と批評したり、友人知人と議論したりすることも大事なことだと私は思っています。でも、この方のように、劇場で行われている公演を、ただ観るためだけに通い続けることは、何よりも尊い行いなのでは?と悟った瞬間でした。劇場とは私たちがそこに通い、そこで行われている公演と、公演に関わる人々を愛するためにこそ、存在するのかも知れません。
井内美香(オペラ・キュレーター)