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2024.01.31

「蝶々夫人」の見どころに迫る!特別寄稿①

「蝶々夫人」の見どころに迫る!特別寄稿①

間もなくチケットが発売される「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ『蝶々夫人』」。2006年の初演では多くの人の涙を誘った美しい舞台がこの夏、よみがえります。日本が世界に誇る本作の“決定版”というべき栗山昌良氏の演出について、中村孝義さんにご寄稿いただきました。

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栗山昌良が演出した「蝶々夫人」の素晴しさ

中村孝義(大阪音楽大学名誉教授・音楽学/ザ・カレッジ・オペラハウス館長)

今年の佐渡裕プロデュースオペラは、このシリーズが始まった2006年に初演され、音楽的共感の深さや演出の素晴しさによって一大センセーションを巻き起こし、2年後の2008年にも再演されたプッチーニの「蝶々夫人」が16年ぶりに取り上げられることになった。これは兵庫県立芸術文化センターにとっても、佐渡さんにとっても記念碑的上演となったもので、これに喚起された多くの聴衆のオペラに対する関心が、またそれに応えようとする劇場やスタッフ、キャストの熱意が、現在でも続くわが国の劇場では類を見ない、一つの演目で7~8回もの公演を実施するという契機となったのである。


この上演の注目すべき点の一つは、その演出を、わが国オペラ演出界の大御所ともいうべき存在であった栗山昌良さんが担ったということであった。プッチーニの作品であるとはいえ、内容は日本の長崎を舞台に繰り広げられる一人の日本人女性の悲劇的な愛を描いたものであり、そのいかにもけなげな姿が我々日本人の胸を打たずには措かない。私など最後の場面になると、涙があふれ出てくるのを抑えることができないほどだ。

しかしどのような場合でもそうなるわけではない。そうなるためには、とりわけ演出に繊細で特別な配慮が求められる。なぜなら欧米の人にはよく間違われるが、同じアジアといっても、日本と近隣諸国では、身に着けている衣装や立ち居振る舞い(特にこのオペラが舞台となっている時代には)が全く異なることは言うまでもないし、建物や室内の調度、さらには庭の立ち木一つについても微妙な差異があり、それらを間違えれば、それはもはや似て非なるものになってしまうからだ。

つまり主役の蝶々さんはもとより、登場する全ての日本人の心性が良く理解された上で、それが舞台上の所作や表現に生かされねばならない。特に往時のわが国では、男性と女性の違い、身分の違いなどによって、足の運びや顔の表情一つをとっても大きな違いがあったが、そのようなことを理解し演出に生かすのは、とりわけ外国の人にとっては容易なことではない。しかもそれが少しでも疎かになると、特に我々日本人が見た場合にはどこか居心地の悪さ、というよりも嫌悪さえ感じることになってしまうのだ。

栗山さんの演出では、例えば3人のアメリカ人が土足で和室に上がるよう演出されており、初演時の聴衆の中には違和を感じられた方がおられたかもしれない。しかし実はこれこそが往時の日本では自然であったに違いない。かつて私が2年のドイツ留学を終えて帰国し、最初に落ち着いた実家に到着した時、4歳になった息子が、土足で部屋に上がりかけたのを見て、周りにいたもの皆がびっくりしたのだが、ドイツに住んでいた彼にはこれが当たり前のことだったのである。つまり栗山演出では、そうしたことが実に濃やかに配慮されているのだ。このように「蝶々夫人」の場合、それを真に迫って見せようとすれば、ただ単に物語を卒なく辿ればよいというものではない。近年は、外国の演出家であっても、さすがに我々日本人の眉を大きく顰めさせるものは少なくなったが、だからといって我々日本人の心や感性を納得させるものになっているかというと、それは簡単ではないのである。


大阪音楽大学のザ・カレッジ・オペラハウスで黛敏郎作曲の「金閣寺」(三島由紀夫原作)を上演した時、演出をお願いした栗山さんの、舞台や所作に対する考証の徹底していることや、演出にあたっての配慮の濃やかさに驚嘆させられたが、この「蝶々夫人」が初演された時、音楽的にも美しく成就されねばならないのは当然だが、栗山さんのそうした徹底した配慮のある演出があって初めて、このオペラは本物になるのだということを痛感させられた。蝶々さんや日本人のあらゆる場面での所作の美しさ、自死の場面で血を見せない奥床しさ、カーテンコールでの日本人ならではの雅で節度有る立ち居振る舞い、まさに我々が日本人の原点に回帰できる演出をまた体験できることに、今から胸が高鳴るのを抑えることができない。日本の真実を知ってもらうためにも、ぜひ外国の人にも見てほしい上演である。


2006年、カーテンコールに立つ栗山氏と佐渡裕芸術監督、出演者たち

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