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2024.07.10

【オペラがもっと楽しくなるコラム】「私とオペラ」連載 第4回

【オペラがもっと楽しくなるコラム】「私とオペラ」連載 第4回

オペラ・キュレーターの井内美香さんによる連載「私とオペラ」。第4回となる今回は、まもなく開幕するオペラ「蝶々夫人」にまつわるエッセイをご寄稿くださいました!

私とオペラ④
スカラ座に衝撃を与えた本物の《蝶々夫人》

プッチーニの《蝶々夫人》を日本以外の国で観る時に、ある種のカルチャー・ショックが伴うのは今も昔も変わりません。最近ではオペラがオリジナルの時代設定と関係のない内容で演出されることが多いとはいえ、《蝶々夫人》は着物や日本家屋などに言及したプロダクションが多いと思います。でも、その殆どは、“ファンタジーの中での日本”であることが実情です。

日本人が外国で《蝶々夫人》を観ると、舞台や衣裳が奇妙に映ることに加えて、登場人物の所作や感情表現にも違和感を抱いてしまうことがあります。筆者が1990年代にフィレンツェで観た《蝶々夫人》はダニエラ・デッシーが蝶々さんを歌い、音楽的には素晴らしかったのですが、第2幕の途中、着物で正座したデッシーが立てなくなってしまい、シリアスな場面だったのに思わず笑ってしまったのを覚えています。

1985年にミラノ・スカラ座で浅利慶太演出の《蝶々夫人》が初演された時、イタリアのオペラ・ファンが受けた衝撃は大きいものでした。高田一郎の美術、森英恵の衣裳による舞台は、真の日本の洗練を示していたからです。名歌手、林康子が歌った蝶々さんはその表現の的確さで高い評価を得ました。当時、林はスカラ座をはじめとするイタリア各地の劇場や、ヨーロッパの一流歌劇場で様々な役を歌って活躍していました。林がスカラ座で歌った《蝶々夫人》もこの1985年版だけではありません。1972年に日本人として初めてスカラ座で蝶々さんを本公演で歌い、1978年の《蝶々夫人》でも同役を歌っています。

実は、林康子の演じる蝶々さんの源には栗山昌良の演出がありました。南條年章/林康子著「スカラ座から世界へ」(フリースペース)という本によると、林は二期会オペラ研修所で栗山昌良の演技指導を受け演技に開眼し、彼女がミラノ留学直前の1969年に初めて《蝶々夫人》を歌った時の演出も栗山昌良でした。「栗山による徹底した訓練を受けた《蝶々夫人》デビューの経験が、この先康子の『蝶々さんの日本人としての魂』を主張するという一貫して変わらない姿勢となり、国際社会で認められ評価されることになった。」

幸いなことにスカラ座における《蝶々夫人》は映像として残り、ロリン・マーゼルの指揮と相まって、《蝶々夫人》上演史にさんぜんと輝いています。蝶々さんを歌うソプラノにとってバイブルにもなりうるこの映像、その美しさは、栗山昌良の教えがあったからこそでした。

井内美香(オペラ・キュレーター)

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