- 2014.04.24
台本作家ダ・ポンテ(1749-1838) ―トラブルメーカーの生臭坊主
ロレンツォ・ダ・ポンテ ―文学的才能、自分の出世のためなら友人を追いやることも憚らない多大な自尊心、そして女性を虜にする端正な容姿を武器にのし上がり、時代を駆け抜けた詩人、作家。偏った言い方かもしれませんが、モーツァルトとは違った意味でエキセントリックなこの男を、より『コジ』に近づくために、ぜひご紹介しておきたいと思います。
ダ・ポンテは、ヴェネツィアの貧しい革職人の家に生まれました。司祭職に就いていましたが、女性関係が原因で1779年にヴェネツィアを追放されます。この司祭様の子どもを宿してしまった女性は既婚者も含め3人はいると言われるほどの放蕩ぶり、そして敵を作りやすい性格から、追われる身となったのです。ヴェネツィア時代のパトロン、ピエトロ・ザグリはダ・ポンテについてこう述べています。「…特異な人間で、中程度の天稟がある詐欺師として知られ、文士としての才能はなかなかのもので、魅力的で官能的なところがあって、ご婦人に愛される…ダ・ポンテに並ぶか超える悪党はそうざらにはいないだろう」(*)
各地を巡った後、同郷人のコネクションにより、ウィーンの宮廷楽長で同じヴェネツィア人のサリエリと知り合います。さらに1782年、サリエリの取り次ぎにより皇帝ヨーゼフ2世に謁見でき、宮廷詩人の職を得ました。
しかしながら、オペラの仕事はこれまでに経験がなく、また彼を妨害しようとするライバルも多く、しばらく芽は出ませんでした。しかも(これは余談ですが)83年頃、陰謀によって歯を十数本失ってしまい、せっかくの容姿に傷がついたことで相当落ち込んでいたという話も…。さらに、協力的であったサリエリとも、仕事上の問題でぎくしゃくし始め、まさに冬の時代を送っていたようです。
しかし、1786年にゴルドーニ作品のオペラ台本化に成功し、好評を得て、売れっ子作家の道を歩み始めるのです。
*『モーツァルトとダ・ポンテ ある出会いの記録』(リヒャルト・ブレッチャッハー著、小岡礼子訳、2006年、アルファベータ)より引用
ロレンツォ・ダ・ポンテ
- 2014.04.08
その頃、ウィーンは・・・
『コジ』は、モーツァルトと台本作家ダ・ポンテとの出会いによって、生まれました。が、その前に、二人が出会ったその時その場所は、どのような状況だったのでしょうか。
ウィーンでは、1780年、マリア・テレジアの死により、その息子でありマリー・アントワネットの兄に当たるヨーゼフ2世皇帝の単独統治が始まります。啓蒙専制君主として知られる彼は、芸術を愛し、熱心にその振興に尽力した人でもあります。舞台芸術の振興において核となったのが《ブルク劇場》。ヨーゼフ2世は、マリア・テレジアによって舞踏場として創設されたこの劇場を、76年に自らの管理下に置きました。それまでウィーンでは、専らイタリア語やフランス語のオペラ、演劇が上演されていましたが、彼はドイツ語の作品も上演すること、そしてお金を払えば誰でも観賞できることを目指しました。
この劇場では、モーツァルトのオペラでは、『コジ』だけでなく、『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』初演、そして『ドン・ジョヴァンニ』ウィーン初演が行われました。オペラだけでなく演劇も盛んで、ウィーンの俳優のレベルは相当に高く、大の芝居通であったモーツァルトも足しげく通ったといいます。(なお、現在もブルク劇場はウィーンにありますが、これは19世紀末、別の場所に演劇専用として新しく建てられた劇場です。)
とはいえ、まだオペラの世界ではイタリアの芸術家が優勢でした。今では気の毒にも「モーツァルトのライバル」として認知されている、宮廷楽長のイタリア人作曲家アントニオ・サリエリやスペイン人のマルティン・イ・ソレールが皇帝のお気に入りで、大きな名声を得ていました。モーツァルトは、皇帝に才能を認められはしたものの、特別な処遇を受けたというわけではないようです。
逆にダ・ポンテはというと、彼はイタリア人で、興行が失敗してもフォローしてもらえるほど、皇帝にも気に入られていた様子。そのおかげか、数々のライバルたちの妨害にもかかわらず、次第に大きな存在となっていきます(次回はそのダ・ポンテのお話)。
ヨーゼフ2世
- 2014.03.06
その頃、モーツァルトは・・・
『コジ・ファン・トゥッテ』が初演された1790年は、モーツァルトの死の前年にあたります。
そのまた前年、1789年といえば、7月のバスティーユ襲撃を契機としてフランス革命が勃発、ウィーンへはすぐに波及しなかったものの、徐々にヨーロッパ中にその影響が広まり、新しい時代を迎えようとしていた頃です。ちなみに、アメリカではワシントンが初代大統領に就任、日本は寛政元年、老中・松平定信が寛政の改革を行っていました。
『コジ』の作曲は、1789年の秋から着手されたと言われており、これは同年夏に『フィガロの結婚』がブルク劇場で再演され、大成功を収めた後です。12月にはひととおり完成し、大晦日に、友人のプフベルクとあのF.J.ハイドンのみを呼んで試演しています。
89年、90年はモーツァルトの中でも作曲数が少ない年です。この頃の彼は、仕事や健康状態に恵まれず、借金もかさみ、ウィーンで苦しい生活を送っていたようです。再三、プフベルクに借金の依頼をしており、前述の試演会に招く手紙にも「…今度だけ、絶望的な状態から引っぱり揚げてください。オペラの代金が入り次第、400フローリンはきっと耳を揃えてお返しいたします…」(*)と書かれています。この「オペラ」は、『コジ』のことです。
翌年、モーツァルトは『魔笛』『皇帝ティートの慈悲』等を遺し、35歳で世を去りました。このような晩年に生まれた『コジ』。ここに在る快活さ、美しさ、儚さ、哀しみ…といった様々な表情は、モーツァルトの短い生涯の終りにこそあらわれた彼の真骨頂ではないでしょうか。そう思うと、より一層『コジ』が愛おしく感じられませんか。やはり“『コジ』を聴かずしてモーツァルトは語れない”です。
*「モーツァルトの手紙(下)」[柴田治三郎編訳、1980年、岩波文庫]より引用
初演(1790年1月26日、ウィーン・ブルク劇場)のポスター
- 2014.02.20
物語の舞台―18世紀末、ナポリ
『コジ・ファン・トゥッテ』の物語の舞台は、18世紀末のナポリとされています。
「ナポリを見てから死ね」と言われるほどの美しく明るい風景で知られるこの街は、イタリア南部、地中海に面した港町で、古くから人々の憧れの地でした。「オ・ソレ・ミオ」「サンタ・ルチア」等のナポリ民謡(『コジ』の時代よりは後に作られた歌ですが)から、陽気で情熱的なナポリ人気質をイメージされる方も多いでしょう。
さて、18世紀のナポリは、当時の音楽界の中心的な街で、音楽家のキャリアにとっても重要な場所でした。1737年に開場し、現在も名門として知られるサン・カルロ劇場では盛んにオペラが上演され、19世紀には、ロッシーニやドニゼッティが音楽監督を務めています。
モーツァルトも14歳の時、父レオポルトと共にイタリアに旅行をし、ナポリにも1ヶ月半ほど滞在しました。それから20年後、34歳のモーツァルトは、そのナポリの陽光を思い出しながら、このオペラを書いたのかもしれません。が、作曲当時のモーツァルトの生活はというと、地上の楽園・ナポリからはほど遠く、経済的困窮や病状の悪化で、苦しいものであったようです。(そのお話は、また次回。)
一度は行ってみたい憧れの街、ナポリ…。今回の上演では、美しい当時のナポリの雰囲気を存分に味わっていただけるような舞台が創られる予定です。お楽しみに。
ナポリの街並みと海
- 2014.01.28
『コジ・ファン・トゥッテ』の世界へようこそ
『コジ・ファン・トゥッテ』、正式な題名は、Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti<女はみんなこうしたもの、または恋人たちの学校>といい、モーツァルト4大オペラ(『魔笛』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』とともに)のひとつに数えられます。
“Cosi=このように、 fan=する、tutte=すべての(女)”―歌劇『フィガロの結婚』第1幕の、伯爵、スザンナ、バジリオの三重唱において「きれいな女はみんなこうするもの Cosi fan tutte le belle」という歌詞があるのですが、『フィガロ~』を観た当時の皇帝ヨーゼフ2世が、この歌詞をテーマに新作を創るよう命じたことが、上演のきっかけであるという説があります。
初演は、ヨーロッパでフランス革命の波が広がりつつあった頃、1790年1月26日、ウィーンのブルク劇場において。しかし2月20日にヨーゼフ2世は死去してしまい、結局、モーツァルトの存命中には10回ほどしか上演されませんでした。さらに、物語に描かれる恋模様の他愛無さや、内容の不道徳さに因るのでしょうか、モーツァルトのほかの作品に比べ、長らく低い評価にとどまるという、不遇な運命にありました。あのワーグナーも、この作品に限っては酷評しています。しかし近年、活き活きとした人間の本質、何よりも音楽の美しさから、評価は見直されるようになりました。演出面でもさまざまな解釈で挑戦的に創作されるようになり、いまや上演頻度の高い人気作となっています。
多くの人々を魅了してやまない『コジ・ファン・トゥッテ』。こちらの<コラム>ページでは、作曲家や作品について、より『コジ~』をお楽しみいただくための情報を、少しずつご紹介していきたいと思います!
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- 『コジ・ファン・トゥッテ』の世界へようこそ