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2026.07.01

「カルメン」をより楽しむために~作品解説その1

「カルメン」をより楽しむために~作品解説その1

7月17日に開幕を控えたプロデュースオペラ「カルメン」。
公演をより楽しむためには、少し予習をしていただくことがオススメ!
そこで、当日の配布プログラムに掲載する作品解説を、公演前に特別に公開します。
解説をお書きいただいたのは、さまざまなメディアへの執筆や講演等で活躍されている、オペラ研究家の岸純信さんです。
作品の成立背景、登場人物とあらすじ、音楽についての解説を、ぜひ公演前にお読みください。

◎作品の成立背景 ~《カルメン》が世に出るまで
text by 岸 純信(オペラ研究家)

オペラ界の2大流派は「全部歌い通すスタイル」と「セリフを交える造り」ですが、イタリアとロシアでは「歌い通し」にほぼ限定される一方で、独語圏、フランス、英国、スペイン&東欧では筋立てが分かり易い「セリフ入り」が大いに持て囃されました。ただし、音響システムの無い当時、セリフ入りを扱う歌劇場のサイズは「1000席ほど」が上限でした。《カルメン》も、セリフが入るフランス語オペラ(オペラ・コミック様式と呼びます)として、パリのオペラ・コミック座で初演された一作です(1875年3月3日)。

19世紀のパリは歌劇場が幾つもある大都会。格式高いオペラ座では仏語で歌い通す作を披露し、コミック座ではセリフ入りを扱いましたが、後者の演目はいつしか「ハッピーエンド」に絞られました。家族連れが終演後に「良かったね!」と言い合えるような、ほのぼのとした舞台が愛されたのです。また、コミック座はお見合いの場にもなりました。観劇中の家族同士が、休憩時のロビーで互いの息子と娘を紹介しあう習慣が生まれたのです。

オペラ・コミック座が、
1840年から1887年まで本拠とした
第2代サル・ファヴァール

しかし、19世紀も後半になるとコミック座の舞台はマンネリ化。そこで、パリ音楽院長のオベールが、新風を吹き込むべく1856年に《マノン・レスコー》を初演し、「ヒロインが亡くなる幕切れ」をこの劇場で成功させました。

その19年後、ジョルジュ・ビゼー(1838-75)の《カルメン》が初演されます。ただ、文豪メリメの原作小説(発表:1845)は広く知られていたとはいえ、その内容に経営陣はひどく困惑しました。支配人の一人ド・ルーヴァンはこう叫んだそうです。
「メリメの『カルメン』だと!愛人に殺される女の話だろ!泥棒や流浪の民や煙草工場の女たちが出て…オペラ・コミック座で!家族の劇場で、お見合いの場で!La Carmen de Mérimée!…Est-ce qu’elle n’est pas assassinée par son amant!…Et ce milieu de voleurs, de bohémiens, de cigarières!…À l’Opéra Comique!…le théâtre des famillles!…le théâtre des entrevues de mariages!」(台本作者の一人、アレヴィの回想より)。ビゼーもそれは百も承知でした。現代でも映画『仁義なき戦い』をオペラ化したいと言えば面食らう人も多いでしょう。当時は『カルメン』も同じぐらいに危なっかしい題材でした。でも、反対されると燃え上がるのが彼の生来の気質なのです。

ジョルジュ・ビゼー(1838-75)

音楽学者カーティスによると、原作小説に作曲家が目を付けたのは、1872年の6月頃のこと。「頑固で短気、反骨精神も旺盛」な彼は、つんと澄ましたオペラ座とは違い、砕けた感のあるコミック座で、斬新な作品を世に問いたかったのでしょうか。台本作者のリュドヴィク・アレヴィ(1834-1908)とアンリ・メイヤック(1830-97)は翻案に相当てこずりました。主人公の女はすぐ心変わりし、恋人は脱走兵に。脇を固めるのは不良軍人や密輸団。最後には男が愛人を刺し殺すのです。そこで二人は、空気を和らげる純情娘のミカエラを話に盛り込みました。

なお、《カルメン》誕生には「影の功労者」が二人います。まずは、コミック座のもう一人の支配人カミーユ・デュ・ロクル(1832-1903)。彼は、相棒ド・ルーヴァンが辞任しても、この物騒な作を支持し続けました。そしてもう一人が、主役を創唱したメゾソプラノのセレスティーヌ・ガリ=マリエ(1837-1905)です。稽古中に、登場のアリアがどうも弱いと感じた彼女は、おずおずと「曲を書き直して。もっとスペイン風に」と主張。そこでビゼーは、耳に残る民謡調のメロディをもとに、急いで〈ハバネラ〉を書き上げました。〈ハバネラ〉の妖しい旋律美は、ガリ=マリエの勇気ある申し出なくしては世に出ませんでした。

カルメンの衣裳を纏った
セレスティーヌ・ガリ=マリエ(1837-1905)

《カルメン》の初演は1875年3月3日。第2幕の〈闘牛士の唄〉はアンコールされましたが、第3幕ではミカエラの曲だけが喝采され、終演後は拍手もなく、みな席を立ったそうです。あまりの烈しさに度肝を抜かれたのでしょうが、ビゼーの背中は痛々しかったといいます。

しかし、その後チャイコフスキーやサン=サーンスが本作をいち早く認め、ウィーンからも上演の申し入れがありました。ただ、ビゼーが初演の3か月後に急逝したので、友人エルネスト・ギロー(1837-92)が、外国の大歌劇場でも上演できるようにと、語るように歌う朗唱(レシタティフ)を作曲し、セリフと置き換えました。今回の兵庫県立芸術文化センターのプロダクションは、セリフ入りのオペラ・コミック様式本来の楽譜(アルコーア社版)に、朗唱の要素(シューダンス社版に由来)もところどころ織り交ぜた「ハイブリッド方式」になっています。

Prudent Louis Leray による1875年「カルメン」初演のポスター

■解説その2「◎登場人物とあらすじ」に続く■

■解説その3「◎《カルメン》の音楽」はこちら■

 

佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2026 「カルメン」
2026年7月17日(金)~26日(日) 全8公演 各日2:00PM
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
公演の詳細はこちらから
※チケットは予定枚数を終了しております

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